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鳳凰(ほうおう)

鳳凰

○撮影場所:京都市上京区 北野天満宮三光門(蟇股)
○制作年代:慶長12(1607)年

■概要
中国で生まれた伝説の鳥。雄を鳳、雌を凰という。鳥類の長とされ、 四聖獣では朱雀とされる。その場合季節は夏、方位は南、属性は火、色は赤。
『和漢三才図会』では『本草綱目』の引用として、 「前は鴻、後は麟、頷は燕、喙は鶏、頸は蛇、尾は魚、ひたいは鸛、顋は鴛、 竜の文様をもち、背は亀、羽には五采」とある。
徳が広まっているとき、理想の天子があらわれた時に出現するという。

■特徴
◎さまざまな姿をしているが、桐・竹があれば確実。
姿は『山海経』・『延喜式』や『和漢三才図会』に記載があるが、 そこまで忠実に表現したものはない。
・冠羽(頭のとさかのようなもの)がある
・鶏のような肉垂(首飾りのような時も)がある
・尾羽:鳳凰の尾羽参照
・彩色は比較的派手、しかし真っ白の時もあり(白鳳)、真っ赤だと朱雀
・組み合わせ:桐 竹(桐の木に宿り、竹の実を食べる) 牡丹  雲   麒麟  梅福
・類似:
・関連:四神
・鳳凰の姿:鳳凰百態

○北野天満宮の鳳凰  三光門(1) 三光門(2) 拝殿(1)  拝殿(2)  拝殿(3) 拝殿(4)

■来歴
あくまでも伝説の鳥であり、イメージは曖昧であったが、少なくとも 漢代にはイメージが整ってきたと思われる。伝説の鳥だからこそさまざまな動物 を合体させた姿が用いられたといえる。
日本には弥生時代〜古墳時代に鏡の文様や鞍の飾金具として流入してきた。 以降、法隆寺金堂の天蓋上部や玉虫厨子の絵、 天寿国繍帳に鳳凰らしい鳥が見られ、この頃には浸透していたと思われる。
四神(朱雀)の例としてキトラ古墳壁画、薬師寺薬師如来像台座、正倉院蔵十二支 八卦背円鏡にその姿を見ることができる(高松塚古墳にも朱雀が描かれていたと思われるが、 盗掘抗によって失われたか)。名称として平城京・平安京における朱雀大路(朱雀門)があげられる。
平等院鳳凰堂(国宝 天喜元〔1053〕年)は名前の通りでもあるが、一対の鳳凰(国宝)がいる。また、鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣 にも頂に鳳凰が乗っている。
装飾彫刻として鳳凰が用いられた現存最古と思われる例は 滋賀県園城寺新羅善神堂(貞和3〔1347〕年)の欄間である。
鳳凰は時代によってデザインは若干違い、おおよそ固定されたのが江戸時代と推察できる。 しかし、絵画と彫刻では姿が違い、また、尾羽のバリエーションなど完全に固定化された とはいいがたく、流派による違いなどがあると言えるのではないかと思う。

■意味
瑞兆(めでたいこと)の一言に尽きるが、理想の世の中に出現するとも捉えられる。 竹の実は竹に花がつかなければならないが、竹に花が付くのはまれであり、しかもその後竹は 枯れてしまう。滅多にない、と解釈することもできようか。
しかし、鳳凰との組み合わせを見るとそのほとんどが桐であり、竹が配されるのは 天皇が使用した「桐竹鳳凰文様」くらいで、あまりみかけない。
龍と組み合わされる時は(龍鳳呈祥)、龍を男性に、鳳凰を女性に例えて 婚姻の喜びを示す。
鸞と組み合わされる時があり(鸞鳳和鳴)、夫婦の親愛に例えられる。
麒麟と組み合わされる時があり(麟鳳呈祥)、天下泰平の光景に例えられる。

出典・参考

・中国戦国時代『論語』「子罕第九」(岩波文庫『論語』)
鳳鳥至らず、河、図を出ださず。吾れ已(や)んぬるかな。
・同「微子第十八」
鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諫むべからず、来たる者は猶追うべし。 已みなん已みなん。今の政に従う者は殆(あや)うし。

・中国後漢時代『論衡』「問孔第二十八」(『新釈漢文大系』68)
五帝三王は皆太平を致せしも、其の瑞応を案ずるに、皆は鳳皇ならず。 必然の瑞を太平になすに、鳳皇は未だ必ずしもしからざるの応となす。

・中国後漢時代『論衡』「講瑞五十」(『新釈漢文大系』69)
後また長楽宮の東門樹上において、高さ五尺、文章五色なるあり。

・中国後漢時代『論衡』「講瑞五十」(『新釈漢文大系』69)
鳳皇・騏は太平の瑞なれば、太平の際に、来り至る有るなり。 然れどもまた未だ太平ならずして来り至る有るなり。鳥獣の奇骨・異毛、 卓絶非常なるは則ちこれなり。

・中国後漢時代『論衡』「講瑞五十」(『新釈漢文大系』69)
礼記の瑞命篇に云ふ、「雄を鳳と曰ひ、雌を皇と曰ふ。雄鳴を即即と曰ひ、 雌鳴を足足と曰ふ」と。詩に云ふ、「梧桐生ぜり、彼の高岡に、鳳皇鳴けり、彼の 朝陽に、練嶺ト萋、ヨウヨウ(口に雍)カイカイ(口に皆)」と。

・中国2世紀以前『山海経』第一 南山経(平凡社ライブラリー『山海経』)
鳥がいる、その状は鶏の如く、五彩(色)で文(あや)あり、名は鳳凰、首の文 を徳といい、翼の文を義といい、背の文を礼といい、胸の文を仁といい、 腹の文を信という。この鳥たるや飲食はありのままに、われと歌い、われと舞う。 これが現れると天下は太平である。

・中国隋時代『五行大義』巻第四(『新編漢文選』8)
南方朱雀の七宿は、東井・ヨ鬼・柳・七星・張・翼・軫、(五行は)火なり。
・『五行大義』巻第五(同上)
羽蟲三百六十、鳳これが長たり。
礼を失えばすなわち鸞鳳、翔けず。

・養老4(720)年『日本書紀』巻第二十五 孝徳天皇 白雉元年二月九日条(岩波文庫『日本書紀』5)
所謂(いはゆ)る、鳳凰・騏・白雉・白烏、かかる鳥獣より、草木に及(いた)るまで、符応(しるしこたへ) 有るは、皆是、天地の生す所の、休祥嘉瑞(よきさがよきみつ)なり。

・養老4(720)年『日本書紀』巻第二十九 天武天皇下 九年七月十日条(岩波文庫『日本書紀』5)
癸未(みずのとひつじのひ)に、朱雀(あかすずみ)、南門にあり。

・天平勝宝3(751)年『懐風藻』田辺百枝の詩「春苑 詔に応ず」(講談社学術文庫『懐風藻』)
唐鳳 台下に翔り 周魚 水浜に躍る (唐は尭を指す)
※田辺百枝:生没年未詳
・同上 葛井広成の詩「藤太政の佳野の作に和し奉る」
笛浦(てきほ) 丹鳳を棲ましめ 琴淵(きんえん) 錦鱗を躍らしむ
※葛井広成:生没年未詳

・延長5(927)年『延喜式』巻二十一 治部省 祥瑞 大瑞(『国史大系』26)
鳳 状、鶴のごとし。五綵を以って文となす。鶏冠・燕喙・蛇頸・龍形なり。

・平安時代中期『枕草子』三十七段「木の花は」(岩波文庫『枕草子』)
桐の木の花、むらさきに咲きたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、 うたてこちたけれど、こと木どもひとしういふべきにもあらず。もろこしにことごとし き名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらん、いみじう心ことなり。

・正徳2(1712)年『和漢三才図会』巻第四十三 山禽類 鳳凰(ワイド版東洋文庫『和漢三才図会』6)
『本草綱目』に次のようにいう。鳳凰の状は、「前は鴻、後は麟、頷は燕、喙は鶏、頸は蛇、尾は魚、ひたいは 鸛、顋は鴛、竜の文様をもち、背は亀、羽には五采を備えている。(中略)梧桐でなければ棲まず、竹の実で なければ食べず、醴泉でなければ水を飲まない。」

・中野美代子『中国の妖怪』(岩波新書)
鳳凰も鸞鳥も、(中略)古くは、単に立派な鳥というだけで、その姿についての 具体的なイメージは乏しかった。それが、五色にいろどられた華麗な鳥ということで、 現実の孔雀の姿と結びつき、孔雀はまたその翼のあでやかさから、夜空の朱鳥と結びつき、 こうして鳳凰イコール朱雀ということになったのであろう。

・高藤晴俊『図説社寺建築の彫刻』
・『日本・中国の文様事典』
・『中国五福吉祥図典 喜』

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