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龍〔竜〕(りゅう)

龍

○撮影場所:京都市東山区 瀧尾神社拝殿
○制作年代:天保10〜11(1839〜40)年
日本最大級(8メートル)と思われる龍の天井彫刻。いや、装飾彫刻全体でも最大だろう。
龍は水や海に縁があり、火災除けの意味もある。
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■概要
伝説の霊獣。洋の東西を問わずいる。
日本では中国から伝来しており、蛇のような長い胴体が特徴。
『和漢三才図会』では『本草綱目』の引用で「頭は駝に似、眼は兎に似、耳は牛 に似、項は蛇に似、腹は蜃に似、鱗は鯉に似、爪は鷹に似、掌は虎に似ている」としている (これに角は鹿に似るが入れば、いわゆる龍の九似説である)。
十二支の五番目にして唯一の霊獣、東南東の方位、朝八時前後、旧暦三月を司る。

■特徴
◎飛龍などと間違わなければ、間違えることはない
・見た目は蛇のよう
・体は鱗に覆われ、角、牙、髯がある。
・玉(ぎょく)を持つものもいる
・組み合わせ:雲 波 
・類似:飛龍
・龍の姿:龍百態
・関連:四神 十二支  龍神 龍王  「鳥獣戯画」の動物

■来歴
鳳凰と並んで中国を代表する霊獣。四聖獣としては東を守護する(青龍)。 日本では古くは高松塚古墳・キトラ古墳の壁画が有名であるが、鏡などにも龍の姿を 見ることができる。
但し、日本では蛇との絡みがあり、 また、仏教にいうナーガも龍と訳されるため、今言う龍はインド・中国・日本 の三つの龍が重なったものと考えてもいいかもしれない。
中世以降、龍は爆発的に広がる。鳥獣戯画に描かれるのを始まりとして、 説話などでは「安徳天皇は龍神の子(厳島神社との関係から)」とか 「日本は龍に守護される国(古地図にも龍が日本を取り囲む図がある)」といった文言 が出てくるようになる。
龍といっても種類が非常に多く、天・地・海、至るところに住むといわれている。

■意味
日本では水との関連から火災除けがいわれる。また、自然災害と関連付けられる ことが多い。雲や雷雲と組み合わされたりすることから、雨を降らせるという 意識があったのだろう。
「竜虎相まみえる」というのは東を司る龍と西を司る虎との組み合わせ。 四聖獣との組み合わせと並んで聖域守護の意味があると考えていいだろう。
鳳凰と組み合わされる時は(龍鳳呈祥)、龍を男性に、鳳凰を女性に例えて婚姻の喜びを示す。
なお、中国では皇帝のシンボルである。よく言われる説に「中国では龍の爪は 5本、朝鮮では4本、日本では3本」というのがある。

出典・参考

・『淮南子』「天文訓」(『新釈漢文大系』54)
「龍挙がりて景雲属(あつ)まり・・・。」
「東方は木なり。・・・規を執りて春を治む。・・・その獣は蒼龍。」

・司馬遷『史記』「高祖本紀」(ちくま学芸文庫版 小竹文夫・小竹武夫訳)
かつて劉媼が大きな沢の陂(つつみ)のほとりでやすんでいると、神に会った 夢を見た。この時、天地がまっくらやみになり、はげしく雷電したので、太公がいってみると、 蛟竜が劉媼の上にいるのが見えた。劉媼はそのうちみごもり、高祖を産んだ。 高祖は生れつき鼻が高く、額は竜のようで須髯(ひげ)が美しく、左股に七十二の ほくろがあった。

・『論衡』「異虚第十八」(『新釈漢文大系』68)
古今龍の至るは皆吉となすに、禹のみは独り黄龍の凶をいふ者は、 其の舟を負ひ、舟中の人の恐るるを見ればなり。

・『論衡』「龍虚第二十二」(『新釈漢文大系』68)
且つ龍の居る所は、常に水沢の中にあり、木中屋閧ノあらず。

・『論衡』「龍虚第二十二」(『新釈漢文大系』68)
韓子曰く、龍の蟲たるや柔、狎(な)らして騎るべきなり。しかれども 喉下に逆鱗の尺一なるありて、人これにふるるあらば、必ず人を殺す、と。

・『論衡』「龍虚第二十二」(『新釈漢文大系』68)
孔子曰く、游(およ)ぐ者は綸(りん)をなすべく、飛ぶ者はソウ(矢に曾) をなすべきも、龍に至りては、吾其の風雲に乗じて上升するを知らず。今日老子に 見(まみ)ゆ、其れ猶龍の如きか、と。

・『五行大義』巻第四(『新編漢文選』8)
「東方蒼龍の七宿は、角・亢・テイ(氏の下に一)・房・心・尾・箕、(五行は)木なり。」
・『五行大義』巻第五(同上)
「鱗蟲三百六十、龍これが長たり。」

・『延喜式』巻二十一 治部省 祥瑞 大瑞(『国史大系』26)
「龍 五色を被り、以って遊ぶ。よく幽れ、よく明らかなり。よく小し、よく大す。」

・『愚管抄』第五(岩波文庫『愚管抄』)
海に沈ませ給ひぬることは、この王(安徳天皇)を平相国(平清盛)祈り出しまいらする事は、安芸の 厳島の明神の利生也。この厳島と云ふは龍王の娘也と申伝えたり。この御神の心ざしふかきにこたへて、 我身のこの王と成てむまれたりける也。さてはてには海へ帰りぬる也とぞ、この子細 しりたる人は申ける。この事は誠ならんと覚ゆ。
〔読みやすさのためカタカナは平仮名に直した〕

・『愚管抄』第五(岩波文庫『愚管抄』)
(元暦2(1185)年の大地震に際して)事もなのめならぬ龍王動とぞ申し、平相国(平清盛) 龍に成てふりたると世には申き。
〔読みやすさのためカタカナは平仮名に直した〕

・『宇治拾遺物語』蔵人得業猿沢池龍の事(岩波文庫『宇治拾遺物語』下巻)
猿沢の池の傍に、「其月の其日、此池より、龍のぼらんずるなり」といふ札を立てけるを、往来の者、若き、 老たる、さるべき人々、「ゆかしき事かな」と、ささめきあひたり。この鼻蔵人「おかしきことかな、我したる 事を人々さはぎあひたり、おこのことかな」と、心中におかしく思へども、すかしせんとて、そらしらずして 過行程に、その月になりぬ。(中略、その日になって人々が龍を見ようと群集し、鼻蔵人は冗談で札を立てた つもりだったがもしかすると本当に龍が出てくるのではないかと思い、)興福寺の南大門の壇のうへにのぼり たちて、今や龍の登か登かと待たれども、なにののぼらんぞ。日も入ぬ。
〔読みやすさのため、適宜漢字を加えた〕

・出石誠彦「龍の由来について」(『支那神話伝説の研究』所収)
恐らく鱗ありとされたのは水居するのが本性と考へられた龍に魚鱗が連想された ものと想はれ、翼は昇天といふ特性から鳥翼が連想されて附け加へられ、角は一般に威厳の 表徴のやうに考へられたものであるから、畏るべくまた神聖視された龍にそれが附加 されたのであらう。

・中野美代子『中国の妖怪』(岩波新書)
龍は、たしかに天空を飛翔する気高い霊獣であった。しかし、人間の手のとどかぬ 高みを、それこそお高く、お上品に飛んでいたところで、次なる文化に参与するエネルギーは もちえない。武帝およびその文化ブレーンは、そのような龍に目をつけ、政治的に捕獲したのである。

・高藤晴俊『図説社寺建築の彫刻』
・『日本・中国の文様事典』
・『中国五福吉祥図典 喜』
・黒田日出男『龍の棲む日本』(岩波新書)
・勝木言一郎『龍』(日本の美術510 至文堂)
・笹間良彦『図説龍とドラゴンの世界』(遊子館)

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