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額の書き方を探る

寺院や神社に掲げられる額の書を見て歩いているわけですが、ページを御覧のように、 ときおり何ともいえない書き方(特に雑体書の類)に出会うことがあります。
これらには何か決まった書き方があったのでしょうか、それとも筆者のオリジナルなのか、 何かの要請があったのか。
今まで見てきた額も参考にしつつ、書論なども見ながら考えていこうと思います。

1 『夜鶴庭訓抄』にある額の書き方

平安時代末期の能書として知られる藤原伊行(ふじわらのこれゆき 1139?〜1175) が娘(建礼門院右京大夫)に書き与えた書論として『夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)』 があります。これには額の書き方について次のようにあります。

一 額は第一大事なり。されどおほく古本を見て書く。額にとりて大内額。書かふる 所どものあるなり。

つまり前例に従って書く、ということです。これではどのように書かれていたかがわかりません。 ちなみに額を書いた人たちの名が『夜鶴庭訓抄』には列挙されています。一部を挙げてみると

・弘法大師(空海)・小野美材(おののよしき)・橘逸勢(たちばなのはやなり)・嵯峨天皇 ・小野道風・藤原佐理・藤原行成・源兼行・源俊房

錚々たるメンバーです。彼らの書き振りをもとに額の字を書くことになっていたようです。 しかし、どのような書が書かれていたか、今となってはわかりません。江戸時代末期から明治時代 のものになりますが、紫宸殿額承明門額応天門額(平安神宮)が参考になります。これらが何を基に書いたのか、 今のところはわかりませんが、何らかの根拠があったに違いありません。

2 『麒麟抄』にある額の書き方(寺院編)

南北朝時代に成立したといわれる『麒麟抄』には額の書き方が詳しく書かれています。

一 額書のこと。寺院・塔の字形は鬼形たるべし。鬼形は、金剛力士、仁王の如く書くべし。 書は筆仕は蝌蚪の筆仕。(中略)魔縁降伏のためなり。横点打ち立て、引き捨て太く、 中は細く。竪点をば本末平等に書く。但し横の点よりも竪点をば太く書く一義なり。 立てて見れば字の点の間に鮮に見る。横の点太く書くときは、点の間見えざりて悪し。 ・・・。(『麒麟抄 七』)

書き方、それに対する意味が書かれています。しかし、鬼形というのがピンときません。 『麒麟抄』には「四種異形事」として人形・龍形・鬼形・鳥形が挙げられ、意味と書き方が書かれています。 全種紹介したいところですが、ここでは鬼形のみ紹介します(他三種はまた別項で紹介できればと思います)。

鬼形とは、鬼の如く手肉一点にも書くべし。一字の姿は二王仏法守護の体に書く。 これは額に書くなり。(中略)鬼形は、筆をゆうめかし、指を繰って押し浮かべ押し浮かべ 書くべきなり。(『麒麟抄 一』)

ほとんど重複なのですが、鬼を意識した書き方、仁王が仏法を守護しているかのよう書く 言が説明されています。
ただ、篆隷文体にも鬼書というモノがありますが、 そんな説明はされておらず、書きぶりも別物。蝌蚪については 筆の使い方の参考に用いられていますが、これについては「口伝あり」として詳しくは触れられていません。
もう少し興味深い文を紹介しましょう。

竪点引捨は垂露に書くべし。如何。火難を除くためなり。横点の打ち立て引捨、如意宝珠 の点を書くべし。かの所を豊饒せしめるためなり。(中略)
およそ諸字の筆使、柔軟に書くべし。諸仏菩薩の慈悲の相なり。(『麒麟抄 七』)

垂露は篆隷文体では露が垂れる姿と表現され、 それが火難除けという意味まで含むようになる。 万物を生み出す宝物と言われる如意宝珠を書に含むことに寺院の繁栄を願う。
そして最後の文言では書き方が慈悲を表わすと締めくくる。 中世思想によく見られる姿が書論にも如実に現れています。
以上は寺院の額についてですが、『麒麟抄』には神社の額についても 書かれています。

3 『麒麟抄』にある額の書き方(神社額編)

『麒麟抄』には寺院額の書き方に続いて神社額についても書かれています。 寺院額では鬼形で書くようにされていますが、神社額の場合は「蛇形・鬼形・ 龍形・鳥形を用いるべし(『麒麟抄 七』)」とあり、その幅広さが伺えます。
また、寺院額ほどの詳しさではないのですが、八幡宮と祇園社の額について 書いています。

(八幡宮の額について)かくの如き時は鳥形書くべし。鳥形は鳩の行住坐臥。飛鳴宿 食見返したる姿に書くべし。
祇園額を鳥の体に書く。自余の社の額を鳥形に書くべし。如何。鳥居と云い付けて、 名字の義なり。(中略)額の体様は、筆注にいう、文字の形二字の合一分点の間二分と云々。 (『麒麟抄 七』)

八幡宮の額は、鳩が八幡神の使いということで鳥の形を用いる書の額は確かにあるのですが、 これがいつ頃から始まったのかはわかりません。『麒麟抄』の成立が南北朝時代ですから、 それ以前のどこくらいからあったのか、興味は尽きないところです。
また、鳥居に引っ掛けて鳥形を用いたとあるのですが、実際のところ あるのかどうかは何ともいえません。
鳥形は私の見てきた限りですが放生津八幡宮与喜天満宮若王子神社豊国神社、 また寺院ですが鳥形を用いる例として善光寺三門 を挙げることができます。

もっと多くの事例を見ていく必要もあり、またこのような秘伝書によくある 複雑な言い回しや思想も考えていかなくてはならないのですが、少なくとも額を書く ことに関して願いが込められていたこと、また形ばかりかもしれませんが決まりごとや 作法があったことが書論から窺えてきます。

なお、『夜鶴庭訓抄』『麒麟抄』は群書類従に所収されているのでご参考ください。

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