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台徳院霊廟勅額門

勅額門

○データ
・場所:埼玉県所沢市 狭山不動寺境内
・年代:寛永9(1632)年、芝増上寺境内に建立されるが、 昭和38(1963)年現地に移築
・国指定重要文化財
・関連:台徳院御成門

台徳院霊廟は江戸幕府2代将軍徳川秀忠(1579〜1632)の死後に建立されたもので、 「台徳院」とは秀忠の院号のことです。
戦前まで台徳院霊廟は建物が全て東京芝の増上寺の一角に揃っていたのですが、戦災で そのほとんどが焼失。惣門を除いた3棟が徳川家墓所の改葬を機に現在地に移転しました。
尚、台徳院霊廟の全貌は「江戸図屏風」に描かれており、また一部ですが戦前までに撮影された写真が残っています。
さてこの勅額門ですが、もとは惣門の次に構えていた門でした。この門の次が 台徳院仏殿の門、その奥が霊廟となっていました。勅額門というからには当時の天皇が 書いた額が存在しますが、これは後水尾天皇(1596〜1680)による宸筆。
装飾を見ますと、そんなに量が多くないのですが極彩色、しかも彫刻のほかに 梁などにも彩色が施され、一部は置上彩色を使い、立体感を見せています。
正面勅額の左右には獅子に牡丹の彫刻。その上には錦鶏が彫られています。 正面から見ると2体ですが、裏から見ると勅額の部分にも1体(計5体)。もしかすると勅額の部分に 隠れた1体がいるかもしれません。
梁などの装飾に用いられているのは、三つ葉葵の紋、雲、丸に龍の置紋、波に龍、獅子に牡丹唐草 が彩色表現されており、一部は置上彩色。平らなところに絵の具を盛り上げるように 置き、その上に彩色するという方法です。

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