雄峯閣 ―書と装飾彫刻のみかた―

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文覚(もんがく)

文覚

○撮影場所
東京都大田区御嶽神社本殿
○制作年代:天保2(1831)年
『平家物語』「文覚荒行」より、滝修行の場。左上は矜羯羅童子と制多迦童子(不動明王の眷属)

文覚の彫刻はまだいるのだろうが、関西では見ることがない。
関東では源頼朝や源義経など人物彫刻が豊富である。

■概要
保延5【1139】〜建仁3【1203】。平安時代〜鎌倉時代の僧侶。
京都高雄神護寺の再興を図り、後白河天皇に強訴、伊豆国に流されるものの、 源頼朝と知り合い、源氏再興を促したという。その後、さまざまな寺院を再興して いくものの、源頼朝死去後は政争に巻き込まれ、二度流罪。二度目の流罪途中に無くなる。
物語や装飾では『平家物語』の破天荒な行動や、『源平盛衰記』にある袈裟御前との話が 用いられる。

出典・参考

・『平家物語』巻第五「文覚荒行」(梶原正昭他校注『平家物語二』岩波文庫 1999年)
(文覚が21日の滝行を試みて)三日といふに、文覚つひにはかなくなりにけり。滝つぼをけがさじとや、 みづらゆうたる天童二人、滝のうへよりおりくだり、文覚が頂上より、手足のつまさき、たなうらにいたるまで、 よにあたたかにかうばしき御手をもッて、なでくだし給ふとおぼえければ、夢の心ちしていき出でぬ。 「抑いかなる人にてましませば、かうはあはれみ給ふらん。」ととひたてまつる。「われはこれ大聖不動明王 の御使に、矜羯羅・制多迦といふ二童子なり。「文覚無上の願をおこして、勇猛の行をくはたつ。ゆいてちからをあはすべし」 と、明王の勅によッて来れる也」とこたへ給ふ。

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