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建物の内を飾る(2) 屏風の登場
屏風と言いますと、今は縁遠くなったもののひとつではないかと思います。せいぜい、
結婚式の金屏風か、博物館に展示されているものでしか見る機会がないのではないかと思います。
しかし屏風は古くは必須道具のひとつでした。部屋の仕切り・境界、そして
部屋を飾るため。
まずは奈良時代に焦点を当ててみることにしましょう。
○正倉院の屏風
屏風は天武天皇の朱鳥元(686)年、新羅から入ってきたといわれています。
公の記録ではこうありますが、渡来人などは早くから使っていたかもしれません。ただ、
遺品が一切ないのでこれ以上はなんともいえません。
奈良時代に入ると遺品が出てきます。正倉院には聖武天皇(701〜756)遺愛の品として
屏風が残されています。残っているものから何が描かれているかを見ますと
・山水、花鳥(中国風)が描かれているもの
・君主の座右の銘(格言)が書かれているもの
・唐風美人が描かれているもの
に分けることができます。
いずれも共通する点は中国(唐)の姿ですが、鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)
は、日本で作られたことが確実なものです。奈良時代は唐への憧れが強い時代といわれていますが、
屏風などからもその一端をうかがうことができます。
はたして、これらの屏風がどのような場で、どのような使われ方をしたかはわかりませんが、
君主の座右の銘(格言)が楷書と篆書で書かれている鳥毛篆書屏風(とりげてんしょのびょうぶ)
などは、日常使われていたのではないかと思います。
天皇(もしくは後の権力者)のそばにこのようなものを置くことによって自らの戒めとしている例は、このあとにも
見ることができます。
○仕切りか、装飾か
これはコラムで別の機会に書くことになるでしょうが、屏風とは仕切りのためにも用います。
日本の住居はもともと仕切りがなく、壁は外壁しかないつくりです。ですから部屋は大部屋がひとつ、
それを屏風や衝立で仕切ることによって部屋を形成していたのです。ただし、奈良時代の住居については
わからない点が多いので、深い言及には至りません。
ただの仕切りでよければ何でもいいはずですが、屏風というと決まって何かが
描かれていたり書かれたりしています(無論、何にもかかれないものもあり、それはそれで
描かれないという意味がある)。つまりは実用を兼ねた装飾と言うことになります。
使う場面によって絵柄を変える、それが簡単にできるのが屏風といえるでしょう。これは、衝立にもいえること
ですが、また後の機会に書くことになります。
○おわりに
屏風は実用品でありながらも装飾品であると言う意識は、すでに奈良時代からあったように思えます。
正倉院にある遺品を見る限りでは、中国趣味が色濃く反映されていることがうかがえてきます。
しかも、時と場所によって使い分けができる、片付けも簡単、利点が多かったように思えます。
ところが平安時代になると急に中国趣味が消えかかり、それとともに「やまと絵」というものがでてきます。
中国風のモノは「唐物(からもの)」と称されてくるのですが、また後述することになるでしょう。
参考として
宮内庁正倉院ホームページを挙げておきます。