雄峯閣 ―書と装飾彫刻のみかた―

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建物の内を飾る(1) 隠される装飾

日本建築における装飾(特に彫刻ですが)をテーマとして繰り広げておりますが、 そもそも、日本ではいつ頃から建物を装飾してきたのでしょうか。
ここでは数度に分けて建物が装飾されてきた歴史について考えたいと思います。
第1回として、法隆寺と古墳を挙げてみようかと思います。

○法隆寺金堂の壁画

日本国内で現存する最古の木造建築である法隆寺金堂(国宝 7世紀末?)内部には 壁画が描かれています。残念ながら1949(昭和24)年に焼損してしまい、今は 複製された壁画ですが、建物内部の装飾として重要です。
壁画の内容は弥勒浄土、薬師浄土、阿弥陀浄土、釈迦浄土、諸菩薩、飛天なのですが、 ここで注意しなくてはならないのは、誰のための装飾かということです。
この装飾は仏のための装飾といわれています(荘厳〔しょうごん〕といいます)。 つまりは、人のための装飾ではないということです。それをいいますと、国宝の 釈迦三尊像などの天井に吊るされている天蓋(てんがい)は典型的なもので、仏の頭上 を飾るためのモノです。

どうやら、もともと仏堂は人が入るところではなかったらしい。入ったとしても、 ごく限られたものしか入れない、特別な空間だったようです。それは仏堂の形の変遷を 見ていく必要があるのですが、法隆寺の金堂は、実際入りますと狭苦しい感じさえします。
仏堂限定となるのですが、まずは建物内を飾るということは、仏を飾るためから始まった としましょう。不特定多数の人が見たものでもないということです。

○古墳内の装飾(装飾古墳)

不特定多数の人が見た装飾ではないというモノを挙げるならば、古墳内の石室が挙げられます。 当然古墳というものは、死者を葬るための墓ですから、葬った後に石室を開けることはまずないといえましょう。 にもかかわらず、高松塚古墳やキトラ古墳などといったものから九州の古墳まで石室内に装飾されていることがあります。
魔よけというものもありますが、それだけでは解決できない装飾も多々あります。
十二支や四霊は魔よけになるのかもしれませんが、果たして星座図がどのような意味をもつのか?などを 考えると興味は尽きません。
装飾の意味はともかく、石室の中を装飾するということは死者(葬られる者)に対する 装飾といえるかと思います。

無論、古墳の時代は7世紀中ごろを境に急に終わりを告げます。いわゆる大化改新における 薄葬令の影響もあるのかもしれませんが、大きな墓を作る必要がなくなったというのも一理 あるのではないかと思います。高松塚古墳やキトラ古墳はいわば最後のあだ花ともいえるかも知れません。

○おわりに

残念ながら古代は残っているものが少ないため、建物にどのような装飾がされていたかを 知るには限界があります。今残っているものから考えると、建物内の装飾は、仏や死者など、 いわば特別な者に対するものといえるのではないでしょうか。
建物内に人のために装飾されたのはいつか?これを考えていく必要がありそうです。

参考として
九州国立博物館 装飾古墳データベースを挙げておきます。

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