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鳳凰(ほうおう)
○撮影場所:京都市上京区 北野天満宮三光門(蟇股)
○制作年代:慶長12(1607)年
鳳凰といっても姿は一定していない。
桐があると確実に鳳凰だが、組み合わせがないと迷う。
○特徴
・冠羽(頭のとさかのようなもの)がある
・鶏のような肉垂(首飾りのような時も)がある
・尾羽:別項鳳凰の尾羽参照
・彩色は比較的派手、しかし真っ白の時もあり(白鳳)、真っ赤だと朱雀
・組み合わせ:桐 竹(桐の木に宿り、竹の実を食べる) 牡丹
雲 龍 鸞 麒麟
梅福
・類似:鸞
・鳳凰百態:下記へ
○来歴
もともとは中国で生み出された霊鳥。雄を鳳、雌を凰という。
日本では古墳時代あたりから鏡や飾金具に認められる。輸入品
がほとんどであろうが、飛鳥時代になると法隆寺金堂の天蓋上部や玉虫厨子の絵、
天寿国繍帳に鳳凰らしい鳥が見られ、この頃には浸透していたと思われる。
平等院鳳凰堂は名前の通りでもあるが、一対の鳳凰(国宝)がいる。また、鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣
にも頂に鳳凰が乗っている。
装飾彫刻として鳳凰が用いられた現存最古と思われる例は
滋賀県園城寺新羅善神堂(貞和3〔1347〕年)の欄間と言われている(未調査)。
鳳凰は時代によってデザインは若干違い、おおよそ固定されたのが江戸時代と推察できる。
しかし、絵画と彫刻では姿が違い、また、尾羽のバリエーションなど完全に固定化された
とはいいがたく、何らかの伝播があった(流派による違いなど)と言えるのではないかと思う。
○意味
瑞兆(めでたいこと)がおこる、の一言に尽きるが、理想の世の中に出現するとも捉えられる。
竹の実は竹に花がつかなければならないが、竹に花が付くのはまれであり、しかもその後竹は
枯れてしまう。滅多にない、と解釈することもできようか。
しかし、鳳凰との組み合わせを見るとそのほとんどが桐であり、竹が配されるのは
天皇が使用した「桐竹鳳凰文様」くらいで、あまりみかけない。
龍と組み合わされる時は(龍鳳呈祥)、龍を男性に、鳳凰を女性に例えて
婚姻の喜びを示す。
鸞と組み合わされる時があり(鸞鳳和鳴)、夫婦の親愛に例えられる。
麒麟と組み合わされる時があり(麟鳳呈祥)、天下泰平の光景に例えられる。
いずれにしても、現実離れしていることが言えるわけで、祭などで多用されるのはうなづける。
○出典・参考
・『山海経』第一 南山経(現代語訳)
「鳥がいる、その状は鶏の如く、五彩(色)で文(あや)あり、名は鳳凰、首の文
を徳といい、翼の文を義といい、背の文を礼といい、胸の文を仁といい、
腹の文を信という。この鳥たるや飲食はありのままに、われと歌い、われと舞う。
これが現れると天下は太平である。」
・『延喜式』巻二十一 治部省 祥瑞 大瑞(『国史大系』26)
「鳳 状、鶴のごとし。五綵を以って文となす。鶏冠・燕喙・蛇頸・龍形なり。」
・『図説社寺建築の彫刻』
・『日本・中国の文様事典』
・『中国五福吉祥図典 喜』
○鳳凰百態
| 場所 | 形状・部位 | 年代 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 京都市北野天満宮 | 手挟彫刻 | 1607年 | |
| 京都市御香宮神社 | 蟇股彫刻 | 1625年 | |
| 京都市御香宮神社 | 蟇股彫刻 | 1625年 | 鸞? |
| 京都市西本願寺 | 飾金具 | 江戸前期 | |
| 八王子市薬王院 | 透塀彫刻 | 1729年 | |
| 京都市瀧尾神社 | 木鼻彫刻 | 1840年 | |
| 小矢部市石動愛宕社 | 手挟彫刻 | 1862年 | 四瑞 |
| 高岡御車山木舟町 | 飾金具 | 江戸後期 | |
| 金沢市小坂神社 | 懸魚彫刻 | 江戸末期? | |
| 吉野町如意輪寺 | 懸魚彫刻 | − | |
| 高山祭神楽台(春) | 太鼓装飾 | 19世紀 | |
| 高山祭鳳凰台(春) | 柱彫刻 | 19世紀 | |
| 京都市仁和寺 | 唐破風彫刻 | 1914年 | |
| 城端曳山祭東耀山 | 彫刻 | 1916年 | |
| 高山祭行列 | 衣装 | − |